ロルフィングを学ぶ以前のことです。
1日5〜6時間の労働で、食事と宿泊が提供されるWWOOFという仕組みを使い、ニュージーランドの有機農場に滞在していたことがあります。
僕がお世話になった農場は、持続可能な農と生活をデザインする「パーマカルチャー」を実践する場として有名な、とても美しく、素晴らしい農場でした。
その農場を、今は亡き夫とともに始めた女性が来日しました。
広大な農場の敷地内には、さまざまな植物や樹木、果樹が植えられ、鶏や豚、乳牛が飼われていました。
美しく、機能的な自作の家、納屋やトイレ、雨水を貯めて使う仕組みや、池に畑に…
今思い出しても、あの広い場所に、よくあれだけのものを作り上げたなと心から尊敬します。
オーナー夫妻の優しさもあり、美しい自然の中で、美味しい食事と、初めて経験する多彩な作業を、ただただ楽しむ毎日でした。
仕事が終わり、みんなで飲む自家製の黒ビールの味は最高で、あれ以上のビールを飲んだことはありません。
さまざまな思い出の中がありますが、りんご、桃、パッションフルーツ、イチヂクなどの果樹の手入れをしている時、オーナーの男性に怒られたことはよく覚えています。
完熟のフルーツが実っているのに、なぜ食べないのか、ちゃんと見ろ、と。
自給自足を目指すスタイルとはいえ、手伝ってるだけの僕が、1番美味しそうな果物を、それも作業中に食べていいのかと、当初は驚きました。
と同時に、日本から来ている期間限定の僕のことも、身内と同じように大切に扱ってくれることが嬉しくもありました。
完熟の新鮮なフルーツ。こんなに美味しいのかと感動しました。
それからは、見過ごして怒られないようにと、食べ頃の果物を探しては、食べ続けるのに忙しくなりましたが。
そんなある日、2人の親しい友人が亡くなる事故があり、その彼を偲んで木を植えるセレモニーをしました。
そこで、彼女が朗読した詩の中にあったのが、Do good anyway (とにかく良いことをしよう)というフレーズです。
それが心に残り、しばらくその言葉について考え続けていた記憶があります。
その時、そういった思いが、彼らがこの場所で、人に、周りに思いやりを持って行動できる理由なのかと分かった気がしました。
そうありたいなと思いました。
二十数年ぶりに京都で彼女に会えるとなった時、ずっと忘れていた、詩を朗読するあの時の姿と、そのフレーズが急に思い出されました。
そして、忘れていたように思えても、あの時の経験や思いは心の中に生き続けていて、今の僕に影響を与えていることも分かったのです。
僕が農場を去る日、恒例行事である苗木を植えた時のことも思い出しました。
その木が元気に大きく育っているのを想像して、なんとも嬉しい気持ちになりながら、変わらず柔和で穏やかな彼女と、当時の写真を懐かしく見る時間を過ごせました。